为什么日本天皇只有名没有姓,你知道吗?

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2016-04-13 16:35 阅读 1,194 次 评论 0 条

古代日本只有名没有姓。西元四世纪末,大和朝廷把日本南部的很多小国统一为一个国家,其统治的基础是氏姓制度。以大和朝廷的大王(即后来的天皇)为首的,掌握着中央政权的贵族与隶属于朝廷的小国国王之间建立了有血缘关系的集团,这些集团称之为“氏”,一个“氏”也就是一个贵族世家。此时的氏并不只限于父系或母系家族,它并非自然的社会集团,而是建立朝廷的中央豪族,以独占或世袭官职,借助朝廷对农民进行统治。因此,这些氏,就按照其职务、领地、居住地来命名,称为“氏名”,如“出云氏”、“忌部氏”、“中臣氏”(后来的藤原氏)。也有氏名来自神名、技艺的。

后来,大和朝廷为了维护统治秩序,分别给贵族颁赐“臣”(臣;おみ)、“连”(連;むらじ)、“君”(君)、“直”(直)、“相臣”(相臣)、“伴造”(伴造;とものみやつこ)、“百八十部”(百八十部;ももあまりやそのとも)、“国造”(囯造;くにのみやつこ)、“县主”(県主;あがたぬし)、“真人”(真人;まひと)、“朝臣”(朝臣;あそみ・あそん)、“宿祢”(宿禰;すくね)、“忌寸”(忌寸;いみき)、“道师”(道師;みちのし)、“稻置”(稲置;いなぎ)等约30个“姓”(カバネ)。这种姓是表示地位、门第、职务的称号,相当于种姓 ,属世袭,是除了皇亲外的贵族用来区分身份地位的标志。大化改新后,因为实施了官位制,此时表示身份地位的姓逐渐失去了意义,在贵族社会便只称氏而不再称姓。

从公元9至10世纪(平安时代)起,出现了新的称呼——苗字(苗是分支的意思)。由于社会的发展,原有的氏族分成若干个家族,这些家族一般以其职业、居住地、官职名或以其私有土地的地名的假名相称,这些称呼便成了“苗字”。苗字其实是一个家族从氏族本家分离出去后产生的新的姓氏。此后氏、姓、苗字逐渐融为一体,统称为苗字。

皇室成员有名无姓 户口登记很严格

明治维新之前,一般的日本人都没有姓,只有贵族统治者才以被封赐的家号、官位、爵位等为姓;明治维新后,日本政府实施户籍制度,平民开始有了姓。但是天皇一直是被日本国人当作“神”,因此,皇室成员至今无姓。
不过,皇室成员的名字非常有特点。从第122代明治天皇开始,日本《皇子女降诞诸式》就明文规定,皇子的名字均带“仁”字,如明治天皇睦仁,大正天皇嘉仁,昭和天皇裕仁,平成天皇明仁,当今皇太子德仁;而皇女的名字都带“子”字,如当今皇太子的妹妹叫清子,皇太子的女儿叫爱子。

天皇的直系子孙诞生后,在正式命名之前先有宫号。如皇太子德仁可爱的小公主叫做敬宫爱子。天皇的男性子孙成年或者成婚后,除被立为皇太子者外,其他人均被封赐为宫家(和幼时获得的宫号不是一回事)。二战结束前,日本皇族有15个宫家。二战结束后,根据《皇室典范》,这15个宫家都被废除,降为平民。

值得注意的是,日本皇室成员取名字,通常参考中国或者日本的古典着作。现任天皇和皇太子的名字分别是“继宫明仁”和“浩宫德仁”。天皇的名字选自日本《明治天皇诏书》和中国的《易经》,皇太子的名字则选自中国的《中庸》。皇太子之女叫“敬宫爱子”,“敬”、“爱”两字均选自中国四书之一的《孟子》。

新的皇室成员名字和尊称确定后,要连同出生日期一起被登记在“皇统谱”上。“皇统谱”是皇族户籍,分为记载天皇和皇后的“大统谱”和记载皇室其他成员的“皇族谱”,有正副两个版本。正本保存在宫内厅书陵部的金库里,副本则由法务省保管。

如果平民嫁入皇室,如皇太子妃雅子,她原来的户籍要被登出,名字被载入到皇族谱中。这时,同其他皇室成员一样,她的选举权和被选举权以及纳税义务等日本国民拥有的权利和义务也自行消失,本人成为一种“特殊的存在”。如果皇室成员嫁给平民,那麽情况刚好相反。去年年底,日本宫内厅正式向外界宣佈了纪宫公主清子与东京都政府普通公务员黑田庆树订婚的消息。他们将于今年举行婚礼。婚后,纪宫公主将跟随夫姓,同时,她所享有的一切皇族待遇将被取消,但获得了选举权及被选举权,并履行纳税等义务。

天皇、皇太子比一般人早两年成年

日本宪法规定,民众满二十岁才算成年,只有成了年才能够喝酒、吸烟。而根据《皇室典范》,天皇和皇太子“满十八岁即为成年人”,比普通老百姓早了两年。

别小看这两年,这在皇位继承问题上具有重大意义。《皇室典范》第十六条规定,未成年天皇继位採用“摄政方式”,只有成年之后才能行天皇之实。日本历史上曾出现过十四五岁皇子继承皇位的事例。因此,早日成年有利于巩固和稳定天皇地位。

皇室成员成年后,便要在一些正式活动中履行“公务”。其中尤以皇太子的任务为最重,必要时得为天皇代理国事。当然,如果天皇健在,已经成年的皇孙就会轻鬆些。比如现在的皇太子德仁1972年时满十八岁,不过当时他的祖父昭和天皇还在世,所以过了两年,也就是到了二十岁才举行成人仪式。1989年昭和天皇驾崩,1991年日本皇室举行“立太子礼”仪式,德仁成为皇太子。


よく知られているように、天皇には苗字がない。一見ヘンなようだが、そう不思議なことではない。記紀(古事記、日本書紀)でも、初期の登場人物には苗字がない。そもそも日本人には苗字はなく、天皇の周囲にいた部族や地方の豪族だけが、部族ごとに天皇から苗字(氏)を「いただいた」のが苗字の起こりである。与える側の天皇に苗字がないのは当然といえば当然だ。また、他の王朝と違って一度も交替していないのも理由の一つだろう。苗字がある赤の他人が天皇になった例はないので区別の必要がないのだ。現代でこそ苗字がないのは不自然な気がするが、考えてみれば明治維新までほとんどの日本人は苗字を持たなかったのだから、そう不自然ともいえない。

日语翻译
众所周知,天皇是没有姓氏的。这虽然乍一听很匪夷所思,但其实也有因缘可循。在记纪(《古事记》和《日本书纪》,日本最古老的历史书)中最早的登场人物都没有姓氏。其实日本人最初是没有姓氏一说的,天皇赐予周围的部落和地方豪族姓氏成为日本姓氏文化的起源。有了这样的历史渊源,作为姓氏施与一方的天皇来说,没有姓氏也是可以理解的。另外,日本与其他国家不同,从来没有过王朝的新旧交替。他族有姓氏的人从未当过天皇,因此没有冠上姓氏加以区别的必要性。在现代没有姓氏似乎是有违常理的,但其实明治维新以前大部分的日本人都是没有姓氏的。这么一想,也就合情合理了。

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さて、では天皇本人の名前は何なのか。まず、個人の名前として「諱(いみな)」がある。これが一般人の名前に当たる。昔の天皇は「神日本磐余彦」(かんやまといわれひこ=初代 神武天皇)だの、「白髪武広国押稚日本根子」(しらがたけひろくにおしわかやまとねこ=22代 清寧天皇)だの、異様に長い名前を付けられているが、これは生きているうちの諱が後世に伝わっていないだけである。その後、在所や乳母の名前で呼んだ時期もあったが、仁明天皇(「正良」=54代)以降は、漢字2文字の諱が通例となって、これが今まで続いている。男性はほとんど(北朝以降全員)が○仁、女性は全員○子だ。昭和天皇は「裕仁(ひろひと)」(124代)、今の天皇は「明仁(あきひと)」(125代)、皇太子は「徳仁(なるひと)」である。

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那么,天皇本人的名字又是什么呢?首先,天皇有个人的名讳,相当于一般人的名字。以前的天皇由于在世时的名讳没有流传下来,被冠以极其冗长的名字,比如“神日本磐余彦(即初代的神武天皇)”,或者“白发武广国押稚日本根子(即22代的清宁天皇)”。之后,也有段时期根据住所和乳母的名字来称呼天皇。直到仁明天皇(即正良,第54代天皇)以后,才有了用两个汉字为天皇命名的规定,一直延续至今。北朝(足利尊氏在京都拥立深草天皇皇统的朝廷,与吉野的龟山天皇皇统的南朝相对立,称为北朝)以后,所有皇室男性的名讳末字都是“仁”,女性成员则是“子”,如第124代的昭和天皇为“裕仁(hirohito)”,现在的平成天皇为“明仁(akihito)”,皇太子是“德仁(naruhito)”。

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歴代の天皇の諱を見ていると、さすがに奇妙な名前はないが、読み方が難解なものはたくさんある。「良仁(ながひと=111代 後西天皇)」、「茂仁(ゆたひと=86代 後堀川天皇)」、「幹仁(もとひと=100代 後小松天皇)」なんかはまだしも、「体仁(=76代 近衛天皇)」「言仁(=81代 安徳天皇)」「方仁(=106代 正親町天皇)」に至ってはまったくわからない。それぞれ、「なりひと」、「ときひと」、「みちひと」と読む。読めないって。正親町(おおぎまち)天皇はともかく、前二者の末路(近衛天皇は16歳で病死、安徳天皇は8歳のときに壇の浦で入水)を考えると、あまりわけのわからない名前を付けるのも考えものだと思う。

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观历代天皇的名讳,虽然没有奇怪的名字,却有很多读音晦涩的名字。像良仁(nagahito,第111代后西天皇),茂仁(yutahito,第86代后堀川天皇),干仁(motohito,第100代后小松天皇)这样的名字还好,至于体仁(narihito,第76代近卫天皇),言仁(tokihito,第81代安德天皇),方仁(michihito,第106代正亲町天皇)的读法就完全让人摸不着头脑了。正亲町天皇姑且不论,前面两位的悲剧命运(近卫天皇16岁时病死,安德天皇8岁时在山口县的坛浦溺水而亡)大概和他们晦涩难解的名讳有关吧。

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しかし、「忌み名」というように、直接にこの名で呼ぶことは避ける傾向にある。現役の天皇は「今上(きんじょう)」「主上(おかみ)」などの呼びかたが普通だ。皇子や皇女も、直接諱を呼ぶのは畏れ多いなどの事情で、「○宮」という称号が付けられることになっている。今上はかつて「継宮(つぐのみや)」という称号を持っていた。皇太子が「浩宮(ひろのみや)」だったのは記憶に新しい。これらの諱や称号はその時代の学者が選定し、天皇が裁可してきた。現代では宮内庁の管轄である。

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但是,直呼天皇名讳为世人所忌讳。现任天皇常被尊称为“今上”,“主上”。此外,直接称呼皇子和皇女的名讳也让人深感惶恐,于是加上“宫”字作为称号。当今天皇曾被叫做“继宫”,现在皇太子的称号则是“浩宫"。过去这些名讳和称号都是经学者选定,天皇批准,现在它们的选定则归宫内厅所管。

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「天皇」という称号自体は、どうも聖徳太子が採用したらしい。天皇という言葉が出てくる最古の文献は、遣隋使の国書である。もともとは中国で天帝を表す言葉であり、中国の「皇帝」に対抗するために付けたといわれる。聖徳太子の時代には「天皇」とそれ以前の称号「大王(おおきみ)」が混在し、天皇という称号が固定するのは天武天皇(40代)の時代からだ。天皇は「てんのう」と読むのが普通だが、宗教的意味を込めて「すめらみこと(天照大神の子孫、という意味)」と読ませることもある。また、「ミカド」は「御門」で皇居の門のこと、おだいりさまの「内裏(だいり)」は皇居のことを指す。「陛下」は御所の階段の下、という意味。どれも、天皇を直接指すのを嫌い、他のものに置き換えた表現である。

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据传天皇这一称号是圣德太子首先采用的。在遣隋史的国书中首次用天皇一词称呼日本的统治者。据说是为了与中国的皇帝相抗衡,才选定了本来在中国用来形容天帝的“天皇”。在圣德太子的时代,“天皇”和从前的“大王”两个称号并存,第40代天武天皇以后才统一为“天皇”。天皇一般读作“tenno”,从宗教意义出发也可以读成“sumeramikoto”,意为天照大神子孙。天皇也被称为“mikado”(汉字写成“帝”),意为“御门”,即皇居大门。“odairisama”则是以内里,即皇居来指代天皇。此外“陛下”本来指的是御所(天皇住所)的台阶。人们避讳直呼天皇,于是便用相关事物来指代,这才有了以上称呼的诞生。
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